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ふと思った


学生時代からの友人の父親が最近無くなったり
同じく学生時代からの別の友人の父親が半身不随になったり

そういった経験をした友人は男らしい男っぽくみえる

勿論、ゲイ的な視線ではなく

かくいう私の父親も最近の動きがおかしい

私も来る日に備えておかなければならないのだろうか

そうならない事が一番なのは言うまでもない事だが
やはり雲行きが怪しく感じてしまう

今父親が倒れたら私が支えなければならない

友人達は既に同じ歳で家族を支える身

覚悟しておこう。

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もう終わってる

何度も何度も
もう終わったと自分に言い聞かせても
考える

分かっているのに諦めようとしない

期待ではない


いや、期待なのかもしれない

忘れようとしている
時間が解決してくれる

分かってる、分かってはいるんだ。

もう少し時間が欲しい。


一度、殆ど諦めきれていたのに

何故今更になって

と、心の葛藤

こういう部分は本当に未熟だと思う。

好意を持たれていないのに好意を抱く

こんなにも悲しい事があるのだろうか

避けているのではなく
忘れたいんだ

1秒でも早く

思っているのが辛いのではない
思っている事が伝わらないから辛いんだ。

理解は求めていない
理解を求められるのは面倒だから

本当に世の中思い通りにはいかない

もう好意がないと知って諦められたのに
やってくる
そしてまた諦めようとしている

もう笑うしかない。

追ってもだめなら待つしかない
待つのは疲れてしまうんだ
それでも待つ自分が愚かだと知りながら

待つのを止めてからくると
どうしたらいいのか分からない。

いたずらに棚の奥底を漁られている気持ち

必要ならもっていってください
そうでないならそっとしておいてください

投げ捨てた訳ではないのです
「好き」という感情を大切にしまい込んだだけです


うん、きもいぞー私
日記じゃなくてもうポエム的な何かを感じる。

散々黒歴史を作ってきた気がするが
また新たな黒歴史を作ってしまった気がする。

今度小説を作る時にでも役立ててみよう。

家族を養う大切さ、大変さ


タイトルでは養うとか大げさな事を書いているが
実際は大した事はしていない。

親が働かない、兄弟が働かない

だから自分が働いている
ただそれだけの事。

働いて疲れて帰ってきて
文句の一つも言いたくなるが
私だけで生活が成り立つ訳でもない
文句を言っても文句しか返ってこない。

言ったところで疲れるだけである。

今に満足できていないのか
と、問われると
私は間違いなく
「はい」
と答えるだろう。

つまるところ自分自身に満足できていない。
今の環境に満足していない。

家族を見ていてそう思ってしまう。

私は今ある幸せを壊そうとしているのだろうか。
文句を言うのは自分が満足したいだけの言い訳なんじゃないのか。

家族がいて、働いてご飯食べて寝る。
これ以上に私は何を望むのだろうか。

家族が働かないのなら私が稼ぐ
ただ、それだけの事。
働いて欲しいとは思うが、自分が楽をしたいだけなのだ。

もう生きてくれているだけでいいさ。

今の私はそう思う事にした。

家族の食費、学費、こずかい
私の親も自分に使いたいお金を子に使っていた訳だ。

親ももしかしたらこんな思いをしたのかもしれない。

大人になるにつれて色々な事を我慢しないといけない。

自分の事ばかり考えてもいられない。


こんな生活してると
自分の将来なんてどうでもよくなってくる。


もしいつか自分も結婚して、子供ができた時の
予習なんだと、そう思う事にした。

そうでも思わないとやってられない。

まぁ、天変地異が起こってもあり得ない話だけども。


妥協だよね、何事も。

恋愛

人がする恋愛は大きく分けて2種類ある。

付き合うまでの恋愛と
付き合ってからの恋愛。

大体は前者が男性で後者が女性だと思う。

理由付けするのならば
男性は独占欲。
手に入るまでを考えて大切にする。
欲しいものが手に入れば次の欲しいものへ
そうしたものを手に入れる事に喜びを感じる。

対して女性は支配欲。
女性自身に社会的価値が無かった場合
自分より上の価値や財産を持つ人間を大切にする。
維持する事で喜びと満足感が得られる。

勿論この考えが全てではない。
男性にも女性細胞があり
女性にも男性細胞があるので
必ず上の様な考えが通用する訳ではない。

人は自分に持ってないものを持つ存在に興味を示すものだ。

そうした中でめぐり合った人と関係を深めていくにつれ
「想像していたのとは違う」
「こんなはずじゃなかったのに」
と思ったりするだろう。

そんなのは当たり前で
それを前提に関係を深めていたのにも関わらず、だ。

そう思ったのなら答えは一つ
諦めてしまえばいい。

別れてしまえと言う意味でも
付き合う事を諦める訳でも無い。

恋愛対象だという事を諦めてしまえばいい。

自分にメリットがあるのなら関係を続けると何かと役立つ。
しかしデメリットしか無いのであれば関係を絶つべきだ。

利用されただの思われても、言われても
言葉に中身など無い。
その様な言葉を言われるという事は
相手側がもう自分に興味も信頼も失ってしまっているからだ。

人は誰かを利用しなければ生きてはいけない。
お互い様という事だ。

意味は同等に近いが
利用なのか頼りなのかは
信頼関係の問題だ。

恋愛は信頼と興味無くして成立しない。

上に書いた事ときっかけさえあれば
恋愛なんて誰でも誰とでも始められる。


すれちがい?
相手が合わせて、自分も合わせていただけだろう。

恋に恋した人間は決まってそう言うよ。


人間関係

人には2種類の性質が存在する。

広く浅く関わる人と
狭く深く関わる人である。

どちらも一長一短の性質を備えており
広く浅くの人は下の人より気さくだが相手を悲しませて
狭く深くの人は上の人より真剣だが自分が悲しんでしまう。

私は完全に後者である。
その上、自分からは滅多に連絡を取ろうとしない
来る者拒まず、去るもの追わず精神を全うしている。

どちらかが悪い訳でも、劣っている訳でもない。

両方に悪質な部分があって
両方が劣っているだけの事だ。

これらは産まれもっての性質なのだろう。
時として成長する過程でも変動するのかもしれない。

同じ性質の人間同士なら意気投合してお互いの距離感を維持し
楽しくやっていけるのだが
違う性質の人間が関わるとお互い難しい思いをする。

広く浅くの人は信頼性に欠けて、いざという時にあまり頼りにならないし
狭く深くの人は自分のテリトリーにずかずか入り込み、しつこくて迷惑だ。

こうした人間同士が分かり合うのは非常に難しい。
本能的に避けるのが当たり前なのだが
どうにも避けられない時があったりもする。

仕事の上司や恋人が良い例である。

この様な場に直面した場合
衝動的になってしまう前に立ち止まって考えてみるといい。
相手が何を望み、何を嫌うのか。

そうすれば解決策も見えてくる。

ただ攻め立てたり、何もせずにいるだけだとお互い奥歯を噛み締め合い
相手側の良さも分からなくなってしまう。

自分は人間だが、相手も人間なのだ
自分に感情があれば、相手にも感情がある
一歩引くのも、一歩出るのも大切な事だ。
これが中々分かっていてもできないのが
人間の面白い点でもあり、愚かな点でもある。



私は変なとこで諦めをつけてしまい
自分から連絡は取らないので頻繁に友人から連絡が来る上に
会社だと様々な人達に声をかけられ処理しきれない時もしばしば
勿論嫌な気はしないのだが、一人になりたくて
私なりの結論に至った筈が、ひっぱり出されるばかりだ。
皮肉なものだとつくづく思う。

私にだって話したい人、会いたい人はいるのに
そういう人に限って離れて行ってしまう。

もう何度も経験してきた筈なのだがね。

後半は考察というより
自分の心情を書いただけになってしまった。

とりあえず以上で終わりにする。

等価交換


ふと頭の中に浮かんできた言葉

他の方々が腐る程記事にしているので
本来の意味に添っての考察はそれほどしないかも。

世の中は等価交換を基盤に動いている。
しかし完全ではない。

天秤とは似て非なる法則。

等価という言葉を思い浮かべると
本当に等価なものを交換しているのか
疑問の連続である。

人を相手にした場合この法則は通用しない事が多い。

人の命と等価なものとは
人の愛と等価なものとは

愛が欲しければ感情を差し出せば手に入るのかもしれない。
上でいう差し出す、とは感情を殺すの意。

物質は1として数えられるが
命や愛なんてそもそも実体しない。

感情同士での等価交換、感情と物資の等価交換は
望んではいけない。

殆どの場合、多過ぎる代償を払ってしまうからだ。

まぁ、分かっていてもやってしまうのが
人間なのだがね。

自分が何者にも変えがたい唯一の存在で一番偉いのだと。
本気で思ってるのだから。
欲しいものは何が何でも欲しい、貪欲な生き物なのだから。

そうした人間同士でする等価交換もまた
本当に等価なのかどうかすら怪しいものだ。


否定的な文章が多くなってしまったが
基本的にこの法則は素晴らしい。

この法則があるからこそ
人と人とが共存しあえるのだと思う。

無償の-なんていうのは偽善だ。
良く考えて、優しい人間程この言葉の意味が分かってしまう筈。

理屈も交渉も無く
力と恐喝によって望みを手に入れてしまう人間程、人生を謳歌する。
等価交換もへったくれもない。


所詮人間も動物。


絵と音楽

絵と音楽は共通点が多い。

先ずは芸術的なものである。
これだけだと他にも共通するものもあったりするが
人の心情や記憶、創造力に左右される事を追加すると
一気に狭まってくる。

今の時代、文化の発達により
録音して再生すれば全く同じ音が聴けたり
コピーすれば全く同じ線が見れる。

同じく文化の発達につれて
絵画やクラシック音楽の価値が薄れている気もする。

絵や音楽の面白いところと言えば
同じ人が1から絵を描いたり、演奏したりしても
全く同じものは二度と生まれない点である。

それは人間が人間であるのと同時に
人間には感情があるからだと思う。

これが芸術の美しさに繋がってくるのかもしれない。

人が何を思って描いて、演奏するのか
それを考えながら鑑賞すると面白さが広がっていく。

上手い人、下手な人
それは人に何かを訴えかけたい思いの強さの違いなのかもしれない

しかし下手な人だから思いが弱いと思うもの
何かが違う気がする。

伝えたい事が相手に伝わりにくい。
表現が下手。

とでも言えばいいのか。


一個人としては絵なんて調べれば実際と同じ絵が出てくるので
わざわざ出向いてまで見るのは少々骨が折れる。
勿論目の前で見た方がより伝わりやすい上に新たな発見もあったりするので
無意味だとは思わない。
サインがもらえたり即興で描いてもらえたりするなら
非常に価値があるものに早代わり。

音楽は実際に目の前で演奏し、その時でしか味わえないものが多い。
PCやiPhoneでマスタリングされた楽曲を聴くのとは別の面白さがある。
私は音楽が好きでもただイヤフォンやヘッドフォンから聴いてるだけだと
もったいないと思ってしまう。

お金が無ければ仕方ない
そこまで興味が出ないもの仕方ない
雰囲気が好きになれないのは慣れるしか
一人でゆっくり聴きたい、そもそも人と会うのが嫌。
気持ちは分かるが夢中になってしまえば忘れてしまうもの。

余裕があるのならば是非出向いていただきたいものだ。



私が訴えたいのは
芸術とは一度きりの表現程美しく
絵と音楽は特に身近に感じる事が簡単であり
人間の感情が伝わってくる
とても素敵な表現だと言うこと。


まぁ、こんな事を書いても
興味が無い人には戯言にしか聞こえないし
見せる為に、聴かせる為にやってるんじゃねーよとか
思われるかもしれない。

人にはそうした世界で一生を迎える
最高にくだらない人生を過ごした人だっている。

私からしたら何の目標も無くただ無意味な時間とお金を使う人の方が
よっぽどくだらないと感じてしまうのですがね。

死活問題

最近記事には出していないけど
やっていましたPSO2

少し前にHDD事件が発生して
PSO2をやる上では支障は無いと公式には書いてあったのだが
私のPCでは何故か800*600以外の解像度だと起動しない。

できる限りの事をしたり、問題を考えてみたが解決せず

私が行き着いたのが
HDD事件の時に表面上では分からないファイルが破損したのか
毎度毎度のアップロードによりスペック不足に陥ったのか
そもそもこのPC自体がもう限界なのか

どれにしても
もうゲームを続けられる気がしない。

読み込みは異常に長いわ
よく落ちるわ
チームが勝手に解散扱いされるわ
何故かフレンドリストまで勝手に解除されるわで
元々上がらないモチベが下がる一方である

何人かのフレンドさんお手数かけて申し訳ありませんでした。
それと、チームの方々も申し訳ありませんでした。
(誰も見てないと思うけど)

pso20131103_193914_002.jpg
こうしてみると普段とあまり変わらない気もする。

元々見た目重視とチャットで遊んでいたので
高画質でもなければチャットするフレさんも皆引退していったので
私も引退しようかな。

ゲームがまともにできないんじゃどうしようもないしなぁ

新しいPCを買って、またやる気になったらINしてみようかな。


希望・失望

人は自分勝手

頼んでもいなければ望んでもいないのに
勝手に期待して、勝手に失望する。

やれと言われた事をする
どう思うと言われて自分なりの考えを述べる

そして勝手に期待される

期待した人間はより多くの事を求めてくる

私も人間。
できる事とできない事があれば
分かる事と分からない事もある

そして失望される。

私の努力不足と言われればそれまでだが

・・・いや、まさにその通りなのだが。

仕事での関係なら折り合いを付けて
次に繋げる事もできるが

個人での付き合いとなると話が別である。

勝手に期待されてひっつかれて
少し気に入らない事があれば失望し、去って行く。

そう、完璧を望まれる。

しかし自分の事となると別の様で
言い訳の連発。

まぁ、私も言い訳なんて数えられない程言ってきたが
相手を責めるような言動は控えているつもりだ。
(最高に面倒な人には素直に言ってしまうが)

そもそも私は人に期待はしていない。
だが期待しない様にしてもする時はしてしまう。


これは人間の性なのだろうか。


そう思うと人間は愚かな生き物だ。
罪を背負う生き物も人間くらいだ。

こんなくだらない事に考えさせられるのなら
一人で居る方が気楽だ。



一途とは

「私、一途なんです」
誰もが聞いたことのあるフレーズ

一途と言っても様々な一途があると思うが
例として恋愛についての一途


恋は自由であるべきである

一途というのは自分を、そして時として相手も縛り付けてしまう

人間、自分の思い通りにならなかったら大なり小なり苛立ちが生まれるものだ
恋人を想うが為に放った言葉だとしても。

そうした恋愛は成就するのだろうか

たとえ成就したとしてもそれは自分だけがそう思っているだけでは無いのか

自分で言うのも何だが
私も一途な方に分類される側なのだと思う。

しかし一途なんて響きが良いだけで
一転すればストーカーになってしまうものだ

この辺りの匙加減は実に難しい

私達人間は恐怖に弱い
まともな思考回路を持つ人ならば
好きな人に嫌われたくないと思うはずだ

そうした時に取る行動とは


忘れる


趣味に走る
友人と出かけて一人の時間を少なくして考えないようにする
仕事に没頭する等

その先で出会った人と新しく恋を実らせる

誰も何も悪く無い
誰も責める人なんていない

しかし一途とは何だったのか

人は大抵が一途で
こうしたサイクルの中に無意識のうちに入ってしまうので無いのだろうか


時々一途とは無縁の
俗に言う浮気者の人たちが羨ましく思う時が私にはある。

自由に恋愛を楽しんでいる。
そして以外にもそうした人たちが結婚していたり
なんていうのは珍しい話では無かったりもする
(続いているかは別問題として)

そんな人たちがふとした時に考えると本当に羨ましい。


私が何故こんなふざけた記事を書こうと思ったのか

先に述べていた
私自身、一途であるが為のサイクルによく陥ってしまうから
なんだと思う。

恋愛以外でも
「これが好きだから一生これはやっていこう」
なんて思ったりして
思い通りにできないので別の事をして
この苛立ちを発散させよう。

別の事にのめり込んで行く。
その繰り返し。

私以外の人でもこういった経験がある人がいるのでは無いのだろうか。




一途ってなんだろう





忘れるのでは無く
深呼吸して素直に、正面から向き合う

それでも限界を感じたのなら諦めればいい
諦めきれなくてもきっと時間が解決してくれるもの。

と、自分に言い聞かせてみる。


結論、一途は非常にめんどくさい


例も解説も下手で申し訳ない。
それとこういった内容は賛否両論分かれたりするので
適当に見流してあげてください。


以上
技術も名もないヴァイオリン奏者のつぶやき。
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プロフィール

サララ

Author:サララ
PSO2 (引退)

ヴァイオリンがわりと好き
気分で絵を描く

このブログは愚痴と
適当な個人の考察。
ヴァイオリンや音楽に
関する記事で構成させて
いこうと思います。

個人的な考察に関しては
私が思った事を
適当に書いているだけ
なので理解できなくても
仕方の無い事です。
見流す事を強く推奨します。

考える事が好きなのかもしれない。

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